











場面緘黙症のこと少しでも多くの人に知ってもらために、この記事を書きました。
場面緘黙症ってどんな病気なの?
ポイントは言語能力は正常であるというところです。
しゃべる能力はあるのに、心の問題によって、しゃべれないのです。
すべての生活場面で話すことができなくなることを全緘黙といいますが、場面緘黙の人は家庭や心を許した人の前では話すことができます。
5歳未満で発症することが多いので、場面緘黙で悩んでいるこども達は意外に多いのです。
大人になっても、治らずに悩んでいる人もいます。
場面緘黙症の人たちは、しゃべる能力がないのではなく、心の問題でしゃべれない。
場面緘黙症で悩んでいる子どもたちは意外といる。
家ではおしゃべりできるのに、学校では友達としゃべれないし、授業中に音読や発言もできません。
学校で特別扱いしてもらえるので、まわりからは「甘えているのではないか」と言われることがあります。
でも、場面緘黙は甘えではありません!心の病気なのです。
しゃべりたくても、不安で、しゃべれないのです。
私の場合は、授業中に発言の順番がまわってくると、心臓が太鼓のようにドキドキして、強い不安を感じました。
友達との会話も、「しゃべったら相手にどう思われるのか」怖くてできませんでした。
「できるけれども、面倒臭いから、親や先生の気をひきたいから、やらない」のは甘えです。
でも、「言語能力はあるけれど、不安や恐怖で、話したくても話せない」のは甘えではないです。



場面緘黙症の原因は何なの?
くわしい原因はわかっていないようですが、いくつか考えられています。
①生まれつき強く不安を感じやすい性格である
②知能や言語が未発達である
③家族のなかに極度に内気な人がいる場合、遺伝の可能性あり
私について言えば、①についてはとても当てはまります。
②については、家庭では問題なく話せてコミュニケーションがとれていたし、きちんと勉強すればテストで高得点がとれていたので、違うのではないかと思います。
③については、母方の祖父がかなり非社交的で、オタク気質だったため、少しは遺伝的要因もあるのかなと思っています。


小学校の先生で、「しゃべれない」=「頭がよくない」と思い込んでいる人がいました。
私がテストで高得点をとると、驚いていました。
「この子はしゃべれないから、頭が良くないだろう」とか、「この子の家族もみんなしゃべれないんだろう」のような偏った考え方をしないでほしいなと思います。
もし周りに場面緘黙の人がいたなら、先入観なしにその人自身と向き合って、その人のことを理解してあげてほしいです。
治ったきっかけ
「私の体験談」の項目に詳述しますが、
私は不登校を経て、通信制の高校に進学をしたことをきっかけとして場面緘黙が治りました。
小学生の頃は、周りの子がみんな私のことを「しゃべれない子」だと思っていたので、
少し話すだけで注目されるのが嫌で場面緘黙が治りませんでした。
しかし、高校に入って、知らない子ばかりの環境に身を置くことで、
「自分が喋っても誰も注目しない」とわかると話せるようになり、場面緘黙が治りました。
詳しい経緯が気になる方は、お時間がありましたら、以下の体験談も読んでいってくださいね!
私の体験談
保育園の頃~前兆~
記憶の限りでは、発症したのは幼稚園の頃ですが、
保育園(1~2歳の頃)の頃からその予兆はありました。
もともと社交の場に行くのが苦手で、保育園の頃も、しゃべってはいたけれども、
「保育園に行きたくない」とぐずることが多かったのです。
家ではトイレができるけれども、保育園のトイレが使えなくて悩んでいたこともありました。
環境の変化や、大勢の子ども達のいる場で、ストレスを感じやすい性格の子どもだった。
今思えば、こういった性格の出現が、場面緘黙症の前兆だったのかなと推測します。
幼稚園の頃~発症・いじめと悪口~
3歳の頃、幼稚園の入園とともに、場面緘黙症が発症しました。
家ではよくしゃべるのに、幼稚園ではほとんどしゃべれなくなってしまいました。
しゃべらないので、周りの女の子に煙たがられました。
皆で絵本を音読するときも、一人だけ声をださないので、
「先生!みやびちゃんが声だしてへん!」と疎まれていました。
コミュニケーションがうまくとれないから、運動会の出し物の練習のさいも、足をひっぱってしまって、女の子たちから、
「ちゃんとして!」
「これ以上迷惑かけんといて!」
と叱られていました。
いじめの領域に入っていたのかもしれません。悪口や叱責が頻繁に飛んできました。
私がしゃべらないのが物珍しくて、「しゃべって」と言われることもありました。
よく、「『くじら』って言って」とお願いされていました。
がんばって言葉を発したことがあります。
しかし、もともと細い声をしている上に、朝から一言も言葉を発していないわけで、のどが硬直しているから、かすれた、弱い声しかでません。
皆は私を「ガラガラヘビだ!」と笑いました。


当時、とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」が流行っていたのです。
ガラガラの声=ガラガラヘビと結びつけて、私のことをからかいました。
私の顔を見て、ガラガラヘビの歌をうたう子もいました。
(いまでも、とんねるずや、「ガラガラヘビがやってくる」の歌にはトラウマがあって、あまり好きではないです)
そういったことが積み重なり、私は幼稚園に行かなくなってしまいました。
小学1年生の頃~孤独と嫌がらせ~
幼稚園の後半は登園拒否していましたが、小学校にあがってから、学校へ行くようになりました。
しかし、祖母の付き添いなしでは不安で行けませんでした。
学校側に椅子を用意してもらって、祖母は編み物をしながら教室の後ろで私を見守っていました。
私は幼稚園時代のいじめの経験で、すっかり性根が曲がってしまっていて、授業にはまともに参加せず、机につっぷして寝ていました。当然友達もできません。
いじめで性格が歪んだ私は、クラスの仲間に入れず、一匹オオカミのようだった。



祖母は心配して、学校でも私に頻繁に声をかけたり、「ちゃんとしなさい」と口出しをしたりしましたが、私はそれをうざったく感じ、暴言をはいていました。
(祖母に暴言ははくけれど、クラスメイトにはしゃべれませんでした)
だから、クラスメイトからは警戒されて、あからさまにいじめられることは無くなりました。
一方で、女の子から怖がられている状況が子ども心にショックでした。
本当は、仲良くしたかったのです。


陰湿な嫌がらせが起きました。
ランドセルの紐(ベルト)の部分を、誰かにハサミで切られたことがあります。
ピアニカのクラス名の部分に、油性マジックで×をいたずらで書かれたこともあります。
(ランドセルは職人さんに直してもらえたけれど、ピアニカの×は消えませんでした。)
小学1年生の頃の担任は、若い女性で、経験も浅いため、私のような問題児の扱い方がわからず、ほとんど放置されていました。
ある日の朝、母に連れられて学校まで来たけれど「教室に入りたくない。うちに帰る」と教室前でごねた時に、先生は私の腕をひっぱって無理やり私を教室に引きずり込もうとしました。
私は大泣きしました。クラスメイトが教室から廊下にでてきて「誰か泣いとる!」と騒ぎました。
その日はそのまま家に帰りましたが、翌日以降、不登校になりました。
小学1年の頃の先生は場面緘黙症の私をほとんど放置。
迷惑そうな素振りすら見せていた。
嫌がらせに関しても特に調査等はなし。
やがて私は不登校となる。



小学2年以降~成長と戸惑い~
2年生の頃の担任も若い女性でしたが、私に積極的に声をかけてくれて、交換日記もしてくれました。
明るくて優しい先生が気にかけてくれたのがすごく嬉しかったです。
その先生がきっかけで、私は授業中の態度を改め、授業に参加し、友達もできるようになりました。
場面緘黙症は相変わらず続きますが、幼稚園や小学1年生のときのような悪口や嫌がらせはぐっと減りました。
しゃべれないなりに頑張っていることが周りに伝わったのだと思うし、周りの子どもも心が成長したのだと思います。
小学2年の先生は場面緘黙症の私に積極的にコミュニケーションをとってくれた。
その先生のおかげで私の心に少し良い変化が訪れる。
同時に周りの子ども達も私に関わろうとしてくれた。
コミュニケーションはとれないけれど、クラスの女の子たちは私を放課後や休み時間の遊びに誘ってくれました。
そうするうちに、徐々に仲の良い友達の前ではしゃべれるようになっていきました。
小学3年生、4年生くらいになると、勇気をだして授業中も発言をするようになっていきました。
でも、私が発言をすると、クラス中にじろじろと見られて、
「みやびちゃんがしゃべった!!」と騒がれました。


その視線や騒がれ方が私にとって大きなストレスになりました。
がんばって普通になろうとしているのに、周りは私が普通になることを許してくれていない気がしたのです。



仲が良いと思っていた女の子に、
「みやびちゃんは授業中しゃべらんくせに、私たちの前でだけしゃべるから、大嫌い」と聞えよがしに悪口を言われたこともあります。
周りに受け入れてもらっていると思っていたけれど、実は私のことを嫌っている子もいたのです。
場面緘黙症は確実に改善していたけれど、
周りの子ども達は成長していく私に矛盾や驚きを感じ、負の感情を抱いてしまっていた。
また、私はあまり声がキレイではないので、
「みやびちゃん、その声って病気だからだよね?」
と言われたりもして傷つきました。
「しゃべれない病気」=「声もキレイではない」という思い込みがあるようでした。
自分の成長と周りとの関係性に悩む私は、やはり中学年以降も不登校を繰り返します。
1学期は行けるけれど、夏休みが明けた2学期で不登校になるようなパターンが多かったです。
とても心が不安定でした。
そして、小学6年生のときの不登校で拒食症を発症してしまうことになります。
中学生の頃~ほぼ不登校~
中学生は入学式の当日は教室に行きましたが、帰宅してから発熱してしまいました。
拒食症で体力が落ち、以前よりさらに不安を感じやすい状態に陥っていたのです。
しばらく保健室登校をしましたが、一人で保健室で勉強するのは孤独で退屈だったので、そのうち完全な不登校になりました。教科書や参考書などで自宅学習をする毎日でした。



高校生の頃~場面緘黙が治る~
拒食症が治り、通信制高校に通うようになりました。
週1回のスクーリング(通学)と期末試験、在宅でのレポートで単位がもらえるのです。
その高校は電車と徒歩で1時間以上かかるようなところで、県内から不登校や病気、その他の事情で全日制に通えない子どもたちが集まってきていました。
私が、場面緘黙症だったことを知る人は誰ひとりいませんでした。
私が「おはよう」と言ったり、授業中に発言したりしても、誰ひとり私を過度に注目したり、「しゃべった!」と騒ぐ人はいませんでした。
私は自由にしゃべれるようになりました。


場面緘黙から解放されたことが嬉しくて、私は未来に希望をもてるようになりました。
塾に通って、中学時代の勉強の遅れを取り戻すべく猛勉強して、大学に合格することもできました。
大人になってから
大学生以降、私が場面緘黙症に悩むことは一度もありませんでした。
ただ、私は幼少期から軽度の吃音をもっており、そのことへの悩みは続いています。
仲の良い人以外には、「人見知り」とか「大人しい」「内気」などの印象をもたれることが多く、親しくない人との雑談は苦手です。
「コミュニケーションがすごく上手な人」ではないですが、最低限のコミュニケーションは問題なくとれています。
場面緘黙の治療法は?
治療方法はいくつかあるようです。
子どもの場合は、遊戯療法や箱庭療法、スモールステップなどが行われています。
場合によっては薬物療法を行う場合もあるようです。
SSRI(選択式セロトニン再取り込み阻害薬)によりセロトニンの働きを増強することで、不安感を軽減できるようです。
また、大人の場合は認知行動療法やカウンセリングなども行われているとのことです。
私の場合は、小学生のときに箱庭療法を受けていましたが、それが効果があったかはよくわかりません。
自分が変わるということが一番大切なのですが、私の場合はとにかくしゃべって周りに注目されるのが苦痛でした。
教師がしっかり場面緘黙を理解し、クラスメイトに説明することは、本人が成長するのと同じくらい大切なのではないかと思います。
藤川理論は緘黙に効果があるか?
30代になってから、不眠症の改善法をさぐるなかで、私は藤川理論という栄養療法に出会いました。
藤川理論は「高たんぱく+低糖質+ビタミン・ミネラル」によってさまざまな疾患を改善しようとするものです。
質的栄養不足が解消されることにより、脳内神経伝達物質が正常に作られます。
栄養療法は主にうつなどの心の病気に効くと評判で、さまざまな子どもの発達障害にも効果があります。
場面緘黙症の改善例もあるようです。
ただ、効果があるという科学的根拠がないため、なんとも言えません。
個人的な考えですが、
不安を感じやすい性格が場面緘黙の一因であるのなら、藤川理論は一定の効果があるのではないかと推測します。
栄養療法は場面緘黙症に効果があるかも知れない。
しかし、科学的な根拠はまだない。
こちらのこてつ名誉院長のブログが参考になるかも知れません。
まとめ
・原因は不明だが、私の場合は不安を感じやすい性格だった。
・子どもの頃に発症することが多い。
・いじめや嫌がらせに発展することがある。
・改善のためには家族、教師、友達の理解が何より大事。
場面緘黙症で悩んでいた子ども時代、インターネットもなく、
私は自分が「場面緘黙症」という病気であることを知りませんでした。
親も教師も知らなかったと思います。
ただただ、得体の知れない心の病という認識でした。
でも、今はインターネットが普及し、「しゃべれない 病気」と検索したら、すぐに病名をつきとめることができ、治療方法もいろいろ出てきます。
自分の病名がはっきりわかるだけでも、本人や家族にとっては少しだけ安心するのではないかと思います。
どうか適切な治療を受けて、場面緘黙症で悩む人が減っていくといいなと思います。
そして場面緘黙症の認知度や理解度が高まって、周りのひとには偏見とか先入観とかなしに、接してあげてほしいと心から願います。
ちなみに私は三姉妹なのですが、次女と三女が場面緘黙症でした(私が三女です)。
姉も高校で環境が変わることにより、治っています。
治療や環境によって治る病気だと思うので、今悩んでいる人には、どうか諦めないでほしいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。